— 理系・教員免許持ちの私が、なぜ国語の「筆者の気持ち」だけはアルゴリズム化できないのか、ロジカルに考察してみた!—
どうも!教員免許を持つ理系パパです。
私はこれまで、算数や理科では「なぜそうなるか?」の問いに対し、明確な因果律(Cause and Effect)と再現性(Reproducibility)をもって指導してきました。
「力の合成」も「分子の運動」も、公式や法則という名の絶対的なアルゴリズムが存在します。それを教えるのは、楽しい!まるで、暗号を解読し、普遍の真理を娘にインストールするような感覚でした。💾✨
そして、児童心理学を学んだ私は、娘の行動ですら、「刺激(Stimulus)」と「反応(Response)」というフレームワークで分析し、褒めるタイミングやトーンを最適化してきました。(ドヤ顔)😎
ところが、「国語」という名のブラックホールに足を踏み入れた瞬間、私のロジックは粉々に砕け散りました。💣
😱 1.「筆者の気持ち」は、ニュートン力学では解けない
国語のテストで最も私を絶望させる問い。それは、「このときの筆者の気持ちとして、最も適切なものを選べ。」です。
「最も適切」って何だ? 定量的な基準はどこにある!?
理科なら、「pHが7のとき、液性はどれが最も適切か?」なら答えは「中性」で固定です。答えは1つ。普遍です。
しかし国語では、
- 選択肢ア:作者の孤独感が、秋の夜長にシンクロしている。
- 選択肢イ:幼い頃の体験から来る、諦めにも似た郷愁の念。
…はい、どっちもそれっぽい!😭
私は、この「適切なもの」を探す行為を、「筆者の気持ち変数 K」を、「本文の語彙群 W」と「背景知識 B」と「採点者 S の好み」によって構成される複雑系非線形微分方程式で解こうと試みましたが、無理でした! 🙅♂️
国語の解法を教えることは、「量子力学を習っていない生徒に、量子テレポーテーションを理解させろ」というくらい難易度が高いのです。だって、「気持ち」は観測者によって揺らぐでしょう!?(シュレディンガーの猫か!)🐈⬛
🫠 2.教える行為が「儀式化」する悲劇
私が教員免許を持っているが故に陥った悲劇があります。
「教えるからには、明確な方法論を提示しなければならない」という強迫観念です。その結果、生み出されたのは…無意味な指導の儀式化でした。
- 「キーワードにはマーカーを引け!」蛍光ペン・イニシエーション 🌈
- 何がキーワードか聞くと、「わかんないから全部引く」と言い出す娘。
- 心理学的:「行為をすることで達成感を得る(儀式化)」だけで、読解力は上がらない。
- 「接続詞で論理構造を把握しろ!」接続詞マスター修行 🔗
- 「しかし」の前後はわかる。でも、「結局、何が言いたいの?」でフリーズする娘。
- 論理構造は教えられる。でも、論理を構成する感情のグラデーションは教えられない。
- 「語彙を増やせ!」単語カード地獄 📚
- 「瀟洒(しょうしゃ)」の意味は言える。でも、それを「なぜ、この場所で、筆者が使いたかったのか」という筆者の魂の震えは伝わらない。
結論:国語のテクニック指導は、水面に浮かんだ氷山の一角しか見ていない。その下にある、共感力という名の巨大な土台は、テキストで教えられないのです。
🙏 3.たどり着いた、パパの最終悟り
心理学と教育の視点から深く潜って、ついに私は悟りました。
国語力=読解力(本文を読む力)ではない。
国語力=人生経験(世界を読む力)である。 🌍
- 本文の登場人物が「孤独」を感じている。
- → 娘の心のデータベース:(孤独の経験データ:ほぼゼロ) → 「?」
- 本文の登場人物が「郷愁」に駆られている。
- →娘の心のデータベース:(郷愁の経験データ:ほぼゼロ) → 「?」
要するに、筆者の気持ちを理解するには、娘の心のデータベースに、筆者の感情をデコードするための十分な経験(共感の解像度)が必要なのです。
「国語の授業」でそのデータベースを構築することはできません。それは、読書であり、映画であり、友達とのケンカであり、飼っている犬が死んだ時の涙であり、すべてが不可逆な人生のインプットなのです。
「教える」という行為が、外部から知識を注入することだと定義するならば、私は国語を教えられません。
だから、今夜も私はリビングで、娘が読んでいる本の横で、静かに自分の好きな本を読むことにします。📖☕️
「パパは、最高の『読書環境』を提供することしかできない…」
理系パパの敗北宣言。でも、これはこれで、愛すべき真理かもしれません。💖😭


コメント