フィクション中受小説④|今日も、私は娘に優しくできなかった「頑張ってるね」が言えなかった夜

1.中学受験

夜22時。

食洗機の低い音だけが、キッチンに残っていた。リビングのテーブルには、消しゴムのカスがまだ散らばっている。私はそれを指で集めながら、さっきの自分の声を思い出していた。

「なんでこんな問題もできないの?」

言った瞬間、娘の肩が少しだけ縮んだのを見た。

見たのに、止まれなかった。

時計は21時15分。塾の宿題が終わらないまま、算数のノートが3ページ白紙だった。

「今日、何してたの?」

本当は知っている。学校から帰って、少しだけソファで寝ていたこと。疲れているのも分かっていた。それでも口から出たのは責める言葉だった。

娘は黙って鉛筆を動かしていた。泣きもしない。ただ、静かに。その静けさが、余計に私を焦らせた。

——このままじゃ間に合わない。

頭の中には、塾の面談で言われた言葉が何度も繰り返されていた。

「今が踏ん張りどころだよ」

踏ん張っているのは、誰なんだろう。娘?それとも、私?

「もう一回やり直して」そう言ったとき、娘が小さく息を吐いた。

ため息だったのかもしれない。その瞬間、胸の奥がチクッとした。でも私は気づかないふりをした。正しいことを言っているのだから、仕方ないと自分に言い聞かせた。

中学受験は親のサポートが大事。みんなやっている。ここで甘やかしたら終わる。そう思っていた。思い込もうとしていた。

夜22時。

娘は先に寝室へ行った。

「おやすみ」

いつもより小さい声だった。

私は「おやすみ」と返したけれど、続けて言うはずだった言葉が出てこなかった。

「頑張ってるね」たったそれだけなのに。言おうとすると、なぜか喉が詰まった。

頑張っているのは分かっている。誰よりも近くで見ているのだから。

重い塾バッグ。眠そうな朝。テストのたびに揺れる表情。全部知っている。

なのに私は、結果しか見ていなかった。リビングに戻ると、ノートが開いたままだった。途中で止まった計算式。何度も書き直した跡。筆圧が途中から弱くなっている。

ページの端に、小さな字で書かれていた。

「むずかしい」

それを見た瞬間、涙が落ちた。

私は椅子に座ったまま動けなくなった。あの子は、できないことを隠そうとしていたわけじゃない。ただ、一人で越えようとしていたんだ。私は横で、締切と偏差値ばかり数えていた。

スマホを開くと、ママ友のグループLINEが光っていた。「うちは今回上がったよ!」「算数先生が変わって良くなったかも!」

比べて、焦って、怖くなって。その不安を、私は娘に渡していた。

守るはずなのに。時計は22時30分。

寝室のドアの前に立った。開けようとして、手が止まる。今さら何を言えばいいんだろう。叱ったあとに優しくするのは、ずるい気がした。

でも、このまま明日になる方がもっと怖かった。そっとドアを開けると、娘はもう眠っていた。参考書が枕元に置いたまま。寝顔は、小さい頃と変わらなかった。

私はベッドの横に座った。

「……ごめんね」

声に出すと、また涙が出た。起こさないように、小さく頭を撫でた。この子は、戦っている。

私に勝つためでも、誰かに勝つためでもなく、自分なりに前へ進もうとしている。なのに私は、応援団じゃなく監督になっていた。正解ばかり探して、心を置き去りにしていた。

娘が少し寝返りを打った。

「……ママ」

寝言のような声。

それだけで胸が締め付けられた。私はやっと、心の中で言えた。

頑張ってるね。

本当は、ずっと言いたかった言葉だった。明日、ちゃんと伝えよう。結果じゃなくて、今日机に向かったことを。眠いのに鉛筆を持ったことを。合格より先に、守らなきゃいけないものがある。部屋を出る前、もう一度振り返った。

静かな寝息を聞きながら思った。今日も私は、完璧な親にはなれなかった。

でも——

明日は、少し優しくなれる気がした。

プロフィール
🚀 偏差値狂いのパパって何者?

娘ちゃんの成績に一喜一憂し、日々「偏差値」という魔物とロジカルに戦う偏差値狂いのパパです!📈💥🤯

  普段は普通のオフィスワーカーをしつつ、FP1級の知識で家計サポートの副業をしています。さらに理科の教員免許まで持つ、自他ともに認める「分析オタク」な父です!🏗️📊💰

  中学受験では、子どもという主役を輝かせるためのバディミッション!と確信しています🛡️✨🚀

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