「やり方は、合ってるはずなんだけどね。」
私はそう言いながら、テーブルの上に広げたノートを見つめていた。付箋で色分けされた単元、解き直し専用のページ、間違い分析のメモ。塾の先生に言われた通り、Youtubeで調べた“伸びる子の勉強法”も全部取り入れた。復習は当日、翌日、週末の三回。解けなかった問題には印をつけ、類題も解く。誰が見ても、きっと「ちゃんとしている」と言うやり方だった。
それなのに、成績は動かない。
娘は向かい側で鉛筆を持ったまま止まっていた。演問を読んでいるようで、目の焦点が合っていない。「分からない?」と聞くと、小さく首を振る。「分かる。でも、できない。」
その言葉が、胸に引っかかった。
分かるのに、できない。どういうことだろう。理解不足?演習量?集中力?私は頭の中で原因を探し始める。改善点を見つければ、次は伸びるはずだから。
「さっきやった解き方、もう一回思い出してみて。」
できるだけ優しく言ったつもりだった。でも娘の肩が少し下がったのが分かった。
鉛筆が動く。途中で止まる。消す。書き直す。また止まる。
時計の秒針だけがやけに大きく聞こえる。
「時間かけすぎじゃない?」
気づいたときには、言葉が出ていた。
娘の手が止まった。
「……ごめん。」
小さな声だった。その一言で、胸がぎゅっと締まる。謝らせたいわけじゃないのに。できるようになってほしいだけなのに。
私は焦っていた。次の組分け、クラス、周りの子の伸び。頭では比べないようにしているのに、数字を見るたび心がざわつく。このままで大丈夫なのかという不安が、言葉の端ににじんでしまう。
娘はノートを見たまま言った。「ちゃんとやってるよ。」
責める声じゃなかった。ただ、確認するみたいに。
分かっている。毎日机に向かっているのを見ている。眠そうでも、塾から帰ってきても、逃げずに座っている。でも結果が変わらない。その事実が、私を焦らせる。
「うん、分かってる。」
そう答えながら、私は本当に分かっているのか自信がなくなった。
しばらくして、娘がぽつりと言った。「ママの言ってること、全部正しいと思う。」
私は顔を上げた。
「でもね、頭が追いつかないときがある。」
言葉を選びながら、ゆっくり続ける。「分かろうとしてるんだけど、途中で真っ白になるの。間違えたらまたやり直しって思うと、怖くなる。」
その瞬間、胸の奥で何かが崩れた気がした。
私は“正しい方法”ばかり見ていた。効率、復習回数、理解度。けれど娘は、“できなかったときの気持ち”と戦っていたのかもしれない。
ノートを見ると、何度も書き直した跡があった。同じ計算を三回やり直している。雑に見えたページは、諦めた跡じゃなく、踏みとどまった跡だった。
「ちょっと休憩しよっか。」
そう言うと、娘は驚いた顔をした。「まだ終わってないよ?」
「今日は、ここまででもいい気がする。」
正しいかどうかは分からなかった。でも、今必要なのは別のことのように思えた。
温かいお茶を入れて並んで座る。娘はカップを両手で持ちながら、ふうっと息を吐いた。「なんか、疲れた。」
その言葉を聞いて、私は初めて気づいた。伸びないのは、努力が足りないからじゃない。頑張りすぎて、余白がなくなっていたのかもしれない。
「ねえ」と娘が言った。「できるようになるの、遅いタイプでもいい?」
私は少し考えてから笑った。「むしろママもそっちだったよ。」
娘が少し笑った。
テーブルの上には、終わらなかった問題集が残っている。でも不思議と敗北感はなかった。正しい勉強法は、きっと間違っていない。ただ、それを進む速さは人それぞれなのだと、ようやく分かった気がした。
結果はまだ変わらない。でも、娘の表情が少しだけ柔らいでいた。それだけで、今日は前より進んだ気がした。


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